こんな映画を観てきた...plus

     


01 ハノーバー・ストリート【米 1979】
02 ハンキー・パンキー【米 1982】
03 ヤンクス【米 1979】
04 戦場【米 1978】

01 ハノーバー・ストリート

ハノーバー・ストリート


Hanover Street
コロムビア映画配給
製作:ポール・N・ラザルス3世
監督:ピーター・ハイアムズ
音楽:ジョン・バリー
Cast:レスリー・アン・ダウン、ハリソン・フォード、クリストファー・プラマー
1979 アメリカ 1時間49分


 好みのタイトルで、実は密かに期待をしていた作品だったのだが、大ガッカリ、戦争という極限状況を外すと、これは単なる甘いだけのよろめきドラマ、泣くに泣けないラブ・ストーリーといったところ。 恋をすると、命知らずの男も途端に慎重になり、女はふと出逢った男に、初めて燃えるような恋心を自覚する。妻の変化を感じ取った夫は衝動的に危険な任務に就き、 これで自分は勇敢な男だなどと変な納得をしてしまう始末。
 バス停での二人の出会いも、何とも工夫の足りない陳腐さ、後の展開から考えても、とても宿命的な出会いなどとは言えないのである。
 更に日本語訳のひどさにはあきれるばかり、コメディではないのだから観客を意味もなく笑わせてはいけない。実際にはそんな場面でもないのに、随所で笑いが起き、 私には失笑ととれた。オリジナル脚本自体がひどいものだったのかもしれない。
 ただ一つ、マギー役のレスリー・アン・ダウンの何とも言いようのない美しさ、これは久々の衝撃だった。
 ハリソン・フォード(バラン中尉)、クリストファー・プラマー(セリンジャー大尉)ともこんな下手な役者だったのかと、不思議ですらあった。
 夫と若い恋人が戦地に赴き、窮地に陥り、夫は妻と子供を宜しくと頼むと、死を覚悟するが、若者は決して見捨てない、救い、傷ついた夫を連れ帰る。妻は病院へ、 恋人は分別を持って去って行く。そして夫婦は元の鞘に納まってハッピー・エンド。それは別にどうということもない事件だった。
 それにしても完璧な美女、レスリー・アン・ダウンには別の作品でもう一度会ってみたいものだ。 [1982.12 記]



02 ハンキー・パンキー

ハンキー・パンキー


HANKY PANKY
コロムビア映画配給
製作:マーティン・ランソホフ
監督:シドニー・ポアチエ
音楽:トム・スコット
Cast:ジーン・ワイルダー、リチャード・ウィドマーク
1982 アメリカ 1時間47分


 或る土曜日、友人と二人で、三丁目のワイン・ハウスでステーキと赤ワイン。その後、映画でもと物色するが見るべき作品に行き当たらい。新宿文化でヒッチコックの 『裏窓』がリバイバル上映されていたが、初日ということもあって既に立ち見。以前は立ち見など厭うものではなかったが、もうそんなことはできない。まして『裏窓』 なんて立って観るものじゃない。
 スカラ座では邦画。ピカデリーでは『ステンアライブ』。テアトル新宿では『スーパーマン2・3』、どうもうまくない。そして最後にたどり着いたのが新宿ローヤル、 掛かっていたのは『ハンキー・パンキー』。
 シドニー・ポアチエ監督、ジーン・ワイルダー主演とくれば、理屈抜きで面白い筈、今日のところは笑わせてくれればそれでいい。  『スター・クレイジー』以来だが、ポアチエさん、本当にこの類の物がお好きらしい。そして意外かと言っては失礼だが、笑わせるのが実にうまい。ただし前作に比べ、 やや質は劣っているように思える。前作はドタバタぶりが文句なくおかしかった。ワンパターンを嫌ってか?ストーリーを重視した分、最も大切なドタバタの部分が何処かで心底笑いきれなくなってしまった。 基本的には、訳もわからず、ただ逃げ惑う事がおかしい筈なのだが、暗示的な絵を遺して死んだ男と、続いて主人公が追われる原因にもなった謎の女の死、コンピュータ、 そして軍ないしは特務機関か何かのお偉方、話は逃げることと謎解き、そして反撃へと進む。どれも“ドタバタ”に無理にストーリーをこじつけた感じで、ジーン・ワイルダー に頼り切ってしまった。
 それにしても演技がどうしても大袈裟にうつるのか、このジーン・ワイルダー、日本ではいま一つ人気が出ていないように思える。見ると誰もが笑える芝居をしてくれる役者なのだが、 何故か客を招べない。役者よりも、ドタバタ物に対しての評価が不当と思われる程低いということかもしれない。そういえば、故ジョン・ベルーシとか、アメリカでは大評判を取った『大逆転』のエディ・マーフィなども、 不思議なことだが、さほど話題に上らない。何も難しい作品だけが上等というわけでもないはずだが・・・
 何はともあれ、とにかく笑えて良かった。 [1984.2 記]



03 ヤンクス

ヤンクス


YANKS
ユナイト映画配給
製作:ジョセフ・ジャンニ レスター・バースキー
監督:ジョン・シュレシンジャー
音楽:リチャード・ロドニー・ベネット
Cast:リチャード・ギア、ヴァネッサ・レッドグレイブ、リサ・アイクホーン
    レイチャル・ロバーツ
1979 アメリカ 2時間18分


 不勉強で、この“ヤンクス”の意味を理解していなかったが、英語のタイトルが出て(当たり前だが)なるほどと思った。つまり“アメ公がやって来た”ということ。 日本人には理解できないことだが、米英間の歴史的な感情のギャップがもたらす様々な矛盾。誇り高い英国人が同盟国とはいえ、がさつなアメリカ兵達によって国土を土足で踏み荒らされる。しかし、それでも歓迎せねばならないという現実。ここにまず複雑な感情のもつれがある。
 これはカルチャーショックを扱ったものといえる。それを越えて愛し合う男と女…、とこうくると、大体想像はつくが、 ただしこの部分は作品全体からみて大した意味を持ってない。
 アメリカを認めたくないのだが、状況がそれを許さないイギリス側の矛盾。黒人兵の存在というアメリカ側の触れられたくない内部矛盾。
 結局のところ、アメリカはアメリカ的に去り、イギリスは極めてイギリス的に残る。有史以来初めて、イギリス国内をアメリカが風のように通り過ぎていった。
 主演はリチャード・ギア。この男いかにも弱い、『アメリカン・ジゴロ』(未見)で評判をとったというが、良いところも悪いところもあまりない、つまらない男である。
 ヴァネッサ・レッドグレイブ、この人いつも思うのだが、厳粛な女神といった趣。何演ってもイメージが変わらない。必要以上に他を喰い過ぎている。逆に言えば、 彼女はこの作品に出るべきではなかった。彼女のお蔭で、かえって何をどう観ていいのか解らなくなってしまった。
 マット(R・ギア)にどうしようもなく魅かれてしまうジーン役のリサ・アイクホーン、時代背景にピッタリ合っていて好感が持てた。 すっかりR・ギアを脇に追いやった感じ。。
 頑固なジーンの母にレイチェル・ロバーツ、背筋も凍るような厳しさと、繊細な優しさを同時に表現できる、これはもう名優!
 惜しむらくは、人間関係の設定が曖昧で、テーマはともかくストーリーが通俗的になってしまった。
 夜中の12時以降はアルコールを売ってはならない規則(ホテルのおかみさんがマットに言う)。ロンドンを訪れた際にはこれが11時過ぎということになっていた。パブの店内風景、 ビターのジョッキ、懐かしく思い出された。雰囲気は何もかわっていない。 [1982.12 記]



04 戦場

戦場


GO TELL THE SPARTAN(行きてスパルタ人に告げよ)
ユナイト映画配給
製作:アラン・F・ボドー ミッチェル・キャノルド
監督:テッド・ポスト
音楽:ディック・ハリガン
Cast:バート・ランカスター、マーク・シンガー、クレーグ・ウォスン
1978 アメリカ 1時間54分


 新宿駅東口からほど近い新宿ローヤルに入る。我ながら他にやることはないのかと哀しくなるが、まあ仕方がない。この映画館、新宿のしかも超一等地(日本一地価の高い、 高野フルーツパーラー前近く)に在るというのに、既に場末の趣すら漂わせている。ここのところ二次館が続くが、ロードショーは依然“お正月映画”で、観ておきたいものはもうないし、 他は慌てて観る程の事もない。
 『戦場』。ヴェトナム戦争物で、テッド・ポスト監督。『ディア・ハンター』程深刻でもなく、アメリカ版“チャンバラ映画”といったところ。米軍兵士が言う「この戦争はおれ達じゃなく、 こいつら(ヴェトナム人)がやってるんだ、そういう戦争なんだ」という台詞に言いたいことの全てが表現されており、他に取り立ててどうこういうこともない。流行のヴェトナム戦争批判ものとしては軽過ぎ、 また、戦争映画としては何とも迫力の乏しい物足りない内容だった。バート・ランカスターが一人で芝居をしていた。
 ところが、驚かされたことが一つある。映画にではなく、今日の観客にである。九割方、いやそれ以上の観客がかなりの年配者であったこと(ほぼ満席)。見た限りでは五十代が殆ど、 しかも座席に深々と体を沈めてリラックスして観ている者など一人もいない(もっとも座席そのものがやや小さめで窮屈なのだが…)。誰も彼も乗り出すように、見入っている。 異様な雰囲気に、私は途中から映画よりもむしろそんな雰囲気の方が気になって仕方がなくなった。やはり問題は“戦争”だろうか?こんな感じを受けるのは初めてだが、そういえば私は戦争映画というジャンルをあまり好んで観てこなかったような気がする。 二次館にまわってきた戦争映画に見入る中年諸氏、というより初老紳士群。こちらの方に圧倒されてしまい、何だか不思議な体験をしたような思いで暮れかけた街に出た。 [1982.1 記]