ダーティハリー5[THE DEAD POOL](1988/米)

1988年 10月 記
     

 新宿ピカデリー1 ワーナー映画配給 1時間31分…鑑想記#005   

 まさにあの“ダーティハリー”が帰ってきたという感じ、しばらく見ない間に随分お年を召されたが、第1作以来17年、前作からも既に4年が経って いる訳だからそれも当然で、1930年の生まれというから当年58歳、86年4月からカーメル市長を務め、キャラハン刑事もすっかり立派になった。アクションも、煩わしいばかりの 署内でのぶっきらぼうな対応ぶりも相変わらずだが、以前ほどとげとげしくもなくかなり余裕が出てきた。とりわけ女性の扱いは滅法優しい、もっとも今回のマドンナ(パトリシア・クラークソン) は、それにふさわしい聡明さを持っていた。彼女、『アンタッチャブル』でネス夫人を好演して、これが?イーストウッドの目にとまっての起用とのことだが、さほどその時の 印象は残っていない。

 ストーリー、看板のアクションとも目新しいものはなく、殺人ラジコンカーのカーチェイスなど製作側の思い入れ程には驚かなかった。やはりキャラハン刑事の相手は機械やとりわけおもちゃでは物足りない、 犯人の冷酷さ残忍さは表現しきれなかったようだ。しかしシリーズを通して、殺しの場面はいずれもかなり凄惨なものなのだが、寸前で必ず場面は切り替わる思い遣りを忘れない。 製作側の意図のようなものが感じ取ることができて嬉しい配慮だ。血を見せずに演出する恐怖、これこそ映画だ。ただ繰り返すが、次の展開が容易に想像でき、全篇を通して緊張感が欠如していて、 すっかりほのぼのしたホームドラマになってしまった。まあ、イーストウッドがハリー・キャラハンであってくれればそれでいいのではあるが…。

 “異常者”を野放しにしてしまう法律の欠陥を、ハリーの型破りの部分で補ってしまう痛快さは、残念ながら不十分と言わざるを得ない、「スカット貫きたい」は彼の口癖だが、 その答えが銛(もり)による処刑では笑うに笑えない、もう一工夫欲しかった。『死の賭け金』(原題)というテーマは結構面白いと思うのだが、ちょっと説明不足。 ところで最近別れたという噂もあるイーストウッドとソンドラ・ロック、そういえば今回の相手役(クラークソン)、雰囲気がよく似ている、彼の好みなのかもしれない、 ひょっとする新しい“お相手”かもしれない。

 

   監督:バディ・バン・ホーン  製作:デビッド・バルデス  音楽:ラロ・シフリン  撮影監督:ジャック・グリーン