地中海殺人事件[EVIL UNDER THE SUN](1982/英)

1982年 12月 記
     

 ポアロの“おかしさ”は滲み出るもの、“出落ち”の必要なし!…鑑想記#080  新宿グランドオデオンにて【東宝東和配給】

 『オリエント急行殺人事件』、『ナイル殺人事件』、そして『地中海殺人事件』、EMI製作のアガサ・クリスティシリーズのフィナーレとあっては見逃す訳にはいかない。

 まず結論から、本から映画にした場合、推理物に限ってのことだが、その舞台空間が大きくなればなるほどつまらなくなるようだ。 『オリエント急行殺人事件』では列車の中、『ナイル殺人事件』では船。そして今回は島(配役を見ただけで犯人が判ってしまうような『クリスタル殺人事件』≪エリザベス・テーラー≫は論外)。 考えてみれば、総じて密室での事件であった。舞台たる空間を限定し、登場人物を予め整理しておかなければならない。そのためにも密室はできるだけ小さいものを用意すべきだろう。 いやしくも灰色の脳細胞を持つ名探偵ポアロの目指す犯人が野山を駆け回ってはいけないのである。『ナイル殺人事件』でも思ったのだが、明るく健康的なミステリーなど少なくとも私には面白くない。

 冒頭、過去に起きた或る事件を紹介し、それが今回の事件と決定的な関わりもを持っている。原作に忠実なのかもしれないが、これは全く 『オリエント急行殺人事件』でシドニー・ルメットが採用したものの二番煎じ!007シリーズといい、前作『クリスタル殺人事件』といい、このガイ・ハミルトンという監督、 オリジナリティの欠如を感じる。プログラムには当然?「スリルとサスペンスを盛り上げていく演出力は見事である」とあるが、そうは思えない。名優達は芝居らしい芝居ができていない (ジェームズ・メイスンなんて、立ってただけで殆ど印象に残っていない)。折角の海の美しさも表現されていない。「ミステリーを華麗に彩る優雅なファッション」(プログラムより、アンソニー・パウエル衣裳) なんて、言われてみなければ特に気にもならない。

 さて、殺人事件発生。大方の予想通りの人物が、至極当たり前に殺される。この類の映画はとにかく誰かが死ななければ始まらないのに、これがなかなか死なない。 昨夜の寝不足もたたって、不覚にも眠気を催してしまった。そして一人ひとりのアリバイをチェックして最後にお馴染みの全員集めての謎解きの場面、ここでもポアロは真実を目指して粘っこく迫る筈のポアロらしさが全く感じられない。 最後に居直った真犯人の態度もただ嫌味なだけで救いがなかった。

 ポアロのおかしさを見せてしまったのは大失敗だった。確かにエルキュール・ポアロには神経質で几帳面な反面、ユーモラスな面もあり、どこか下品な部分すら感じさせる。 しかし、それはあくまで感じさせるものであって、決して笑わせてはいけない。ポアロが何とも説明しにくい水着(胸にはH.Pのイニシャル付)で、足だけ水に入って泳ぐ真似をし、 それで泳いだことにしてしまうシーンでは笑いが起きた。全くひどい演出であった。

 いささか作り過ぎは否めないが、ポアロそのもののピーター・ユスチノフより、『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニーのポアロが好きだ。

 果たしてキャスティングはこれで良かったのか?ポアロ役はともかく、このシリーズ、再登場の何と多いことか、ビデオで見馴れているせいもあるが、 『オリエント急行殺人事件』で元運転手(デニス・クイーリー)、同じく元刑事(コリン・ブレークリー)が共に大金持ち。『ナイル殺人事件』で殺されたメイド(ジェーン・バーキン) が若妻、同じくマギー・スミスが舞台となったホテルの女主人といった具合で、どうもしっくりこなかった。それぞれの役にはまっているようには見えない。シリーズであるのだから、 余計にそれぞれのイメージを大切にしてほしかった。

   製作:ジョン・ブラボーン、リチャード・グッドウィン  監督:ガイ・ハミルトン  音楽:コール・ポーター