タイトル |
夜よ、さようなら[1979/上映時間:1時間53分] | |||
製作 |
ベンジャマン・シモン | マリー | ミウミウ | |
監督 | ダニエル・デュバル | マルー | マリア・シュナイダー | |
原作 | ジャンヌ・コルドリエ | ジェラール | ダニエル・デュバル | |
製作国 | 仏 | 音楽 | ウラジミール・コスマ |
主人公のマリーは19歳。感傷的でやさしく、そして傷つきやすい。この少女が娼婦のヒモを職業にしている青年を
愛してしまったことから、彼女は果てしない転落の道を歩むことになる。
マリーを演じるミウミウは、フランスで
人気を博し、「バルスーズ」で、関係者より先に観客の支持を得たという経歴。体当たりの演技でセザール賞の栄誉に
輝いたが、受賞を拒否した。
彼女の相手役として親友マルーに扮するのがマリア・シュナイダー。「ラストタンゴ・イン・パリ」以来、スキャンダル 女優のレッテルを貼られ、世界中を転々とした彼女だが、ひさびさに所を得てアンニュイな魅力を見せてくれている。 マリーのヒモという重要な役を演じると同時に、監督も兼ねているのが、ダニエル・デュバル。男と女、女と女の情念の 世界をドキュメンタリー・タッチで撮りあげた。
製作費800万フラン(4億8000万円)、スタッフ100名余を駆使、9週間に及ぶ日数を費やして、70ヵ所以上でロケーションが 敢行された。ロケ地の中でも主な舞台となるのは、パリの娼婦街。デュバル監督は、売春婦たちが立つ通りを、ベルビル の熱い地区トゥールティル通りに置いた。
ミウミウとマリア・シュナイダーが、堕落のどん底を知る汚い売春宿《45》には、破損した家具が運び込まれた。
ウラジミール・コスマによる心にしみるような哀愁のメロディが、パリ娼婦の物語に、しみじみとした色あいを与えて
いるのも話題だ。
その日、マリーは何か満たされぬ思いを抱いてボーイ・フレンドのアパートをあとにした。「お袋が結婚式の衣裳 のことを何て言うか・・・」とつぶやいていた彼のセリフが妙にシラジラしく記憶に残っている。マリーは19歳、体重 48キロで、髪はブロンド、目は淡い褐色、今彼女は、感傷的で、やさしく、そして傷つきやすい。
彼女は、その足で、とあるカフェにやってきた。うす暗い部屋の中では、父が昼間から男たちを相手に、カードに うつつをぬかしている。マリーの父親は、膝を上にかけた娘のスカートの上から体をまさぐるような男なのだ。男の一人 が、マリーをドレスの上から裸体を見透かそうでもするかのように熱っぽく見つめていた。ジェラールとの出会いであった。
ジェラールは娼婦のヒモだった。女の稼ぎをまきあげては、派手な指輪や腕輪をしてアメリカの車を乗りまわす。 だが、彼を愛するようになったマリーにとっては、そんなことはどうでもよかった。マリーがジェラールにつかまったこと は、彼女の父も承知の上なのだ。間もなくマリーは、ジェラールの画策でパリのバーで客を取らされることになった。
マリーと心がかよいあうのは、同じ娼婦仲間のマルーだった。マルーは、変に魅力的な娘だった。どこか投げやりで いながら、瞳の奥には“まごころ”を感じさせる女。客待ちしながら、アンドレ・バザンの本なんか読んでいる。心まで 娼婦になってはいけないと励ましあうことだけが、マリーとマルーの心の支えだった。
この世に、まごころから信ずべき愛が、本当に存在するのだろうか。それを自ら証すために、マリーは、ヤクザの ゴタゴタに巻き込まれたジェラールを救い出すことに命を賭けた。そして今度は、マリーが自らを救済する番だった。 膝まづいて許しを乞うジェラールをふりきって足を洗うことを決意した。そのためには筆舌につくしがたい辛酸をなめなければならなかった、その時25歳。
ミウミウ
マリー
1950年2月22日、パリに移り住んだブルトン系の家に生まれた。71年「雌馬」でデビュー
73年の「バルスーズ」で有名になったが、批評家より先に観客に認められた。本作でフランスのアカデミー賞ともいうべきセザール
賞の栄誉に輝いたが、受賞を拒否した。他に「燃えつきた納屋」(72)など。
マリア・シュナイダー
マルー
1952年5月27日、パリ生まれ。父は俳優のダニエル・ジュランで、彼が正式に結婚
していない女性に生ませたのがマリアだった。69年「グランブレーズのシーザーあるいは空中の支柱」で映画デビュー。
「クリスマス・ツリー」(69)、「栗色のマッドレー」(70)、「花のようなエレ」(71)、「ラストタンゴ・イン・パリ」など。
ダニエル・デュバル
監督・ジェラール
1944年11月28日生まれ。仏・南セーヌのヴィトリー生まれ。作家、映画監督
、俳優の三役をこなす。76年自作の長篇「城の影」でモスクワ国際フェスティバル第二位。役者としても「ベンとベネディクト」(76)、
「ママに会いに」(77)など。
原作は、30代なかばの女流作家ジャンヌ・コルドリエの「夜よ、さようなら---パリ娼婦の自伝」(邦訳、読売新聞社 刊)、コルドリエは、娼婦としての5年間の体験を通して、この自伝を執筆した。76年、この小説が発表されるや、その 《事実》の迫力でフランスでベストセラーとなり、日本でも30万部を突破するひそかなブームを呼んでいる。