タイトル |
ブーメランのように[1976/仏] | |||
製作 |
レイモン・ダノン アラン・ドロン |
ジャック | アラン・ドロン | |
監督 | ジョゼ・ジョバンニ【脚本】 | マリエル | カルラ・グラヴィーナ | |
撮影 | ビクトール・ロドリゲ | リッター | ジャネル・ヴァネル | |
音楽 | ジョルジュ・ドルリュー | エディ | ルイ・ジュリアン |
前作のジョゼ・ジョバンニ監督と組んだ「ル・ジタン」で見せた孤独なジプシーのならず者から一転、フランス の財界のトップ・レベルに加わった少壮実業化ろして登場し、その鋭い現代感覚のなかに、男の愛と闘いと孤独を スクリーンに漂わせる。
地位も富も投げうち、しかもフランスを敵にまわして、なお息子とともに、イタリー国境へ逃亡する追いつめられた 父性愛。この悲痛なまでに美しいドロン・ラスト・シーン、そしてこの名場面を謳いあげる主題曲の哀しい旋律が、女性 ファンの胸をしめつける。
世界の女性ファンを魅了するドロンも、今年でスター生活20年余、その風貌も、演技力も、ぐっと深みを増し、人生 的な重みを加えてきた。単なる二枚目スターとしてではなく、性格俳優の持つ実力をそなえ、陰影の濃い人間像の表現 を可能にし、さらに説得力のある魅力を発揮して行く。
アウトローや犯罪者などの世界を描きつづけるジョバンニ監督とのコンビ作では、ドロンはすべてならず者であった 筈だが、フランス財界の一流ビジネスマン=ドロン、しかしそれはドラマの途中から、早くも或る暗い悲痛なかげりが 覆い始めるのだ。
コート・ダジュールに面したドイツ人所有の豪華な別荘の中で、マリファナを吸いながら、朦朧とした意識に 浸っていたエディは、突然踏み込んできた警官に、強烈なライトを浴びせられ、恐怖のあまり、反射的に傍らの猟銃を 手にしてしまった。銃弾を受けて即死した警官は実直な男で妻と三人の子供を持っていた。
取り返しのつかない犯罪を起こして脅えるエディ少年には、ジャック・パトキンという40歳の実業家の父親があった。 ポーランド出身のジャックは大企業家フェルッチの令嬢ミュリエルと再婚し、エディは先妻ジネとの間にできた子供で、 離婚後ジャックが引き取っていた。
新聞には、事件をセンセーショナルに報道する大きな見だしが掲げられ、『エディ・パトキンに死を!』という フレーズが世論をかきたてていた。富める実業家の息子というねたみと反撥、殺された誠実な警官への同情、それが微妙に 重なり合って、パトキン親子を苦境に追い込んでいった。
一時は遺族から告訴取り下げの約束を得るが、あらゆる新聞が、いっせいにジャックの前身を暴露し、それに大きく 紙面をさいたため、ジャックの忌まわしい過去、つまり前科者であり、ギャングのボスであったという意外な事実から、 未亡人はジャックへの憎しみをあらわにして、エディ起訴に一転した。
残雪きらめくサン・マルタン山野を、国境線に向かって、必死に走るジャックとエディの姿があった。しっかりと手 を取り合って走る父と子。その二つの影を上空からヘリコプターで追う警視レオニは、傍らの助手に、こともなげに 射殺を命じていた。
アラン・ドロン(ジャック)
1957年にデビュー以来、つねに孤独な一匹狼を演じてきたドロンだが、ここでは苦労して築き上げた地位
も財産もなげうって息子の危機を救うためにあらゆる努力を重ね苦悩する父親役で新しい味をみせている。珍しい役だが
悩み、努力したあげく社会から総攻撃をくい、牙をむいた父親が最後によせた心のよりどころはやはり彼が育った暗黒街だった。
シャルル・ヴァネル
リッター
フランス映画界の名優。
カルラ・グラヴィーナ
マリエル
「ビッグ・ガン」に次ぐ共演。
ルイ・ジュリアン
エディ
ジョゼ・ジョヴァンニ
監督
1923年6月22日、パリ生まれ。戦後、暗黒街に出入りするようになり、入獄、脱獄という
異常な体験をした。ハードボイルド小説「穴」を58年に発表、ベストセラーに。自作の暗黒小説のうち映画化された「冒険者たち」(
66)などで脚色にあたり、監督作品としては「ラ・スクムーン」(72)、「暗黒街のふたり」(73)、「ル・ジタン」(75)など。
過ぎ去っていった昔日の消しがたい苦く悲痛な想い...。人は決してそこに戻りたくはない筈だが、いくつかの 不運が重なって、再び過去の世界にひきずりこまれることがある。敢えてたとえるなら、孤を描いて舞い戻るブーメ ランのように・・・。